MTBでヒマラヤを押し担ぎ 1994.10

1日目 ポカラ(870m)→クスマ(930m)

1994年10月3日 晴れ 最大標高差865m/6時間 乗車率100%

「フェリ・ベトゥンラ!(また会いましょう。)」

と互いに挨拶を交わし、最初のペダルをグイと沈める。

僕がチェック・アウトの手続きを終えると、ホテルの門の前にお世話になったマネジャーやスタッフが集まってくれた。どうやら、この奇特な日本人を見送ってくれるらしい。2週間も滞在していたので、色々と世話になることも多かった。僕が外出中に雨が降ってくると、外に干していた洗濯物を取り込んでくれていたりと、ホテルマンの心遣いにも感激する事が多かった。彼らのいいところは、「俺がしてやったんだぜ。」なんて言わないところだ。彼らとも3週間後に戻ってくるまでお別れだ。

地図を見ると第一日目は舗装された車道らしい。自動車のクラクションと舞い上がる埃に別れを告げ、アンナプルナの山々を彼方に望みながら、これからのすべての出会いに期待し、気力が満ち溢れる。

”カーレ(1,720m)” までは25kmで900mアップだ。それ程きつくもなく緩くもない、ウォーミング・アップには丁度良い。すべてを詰め込んだザックは、車道走行中に限りアルミのリア・キャリアにくくり付けることにしたので、軽快に登れる。荷物もバイクも担がないでいいところは担がないで済ませたい。先は長いのだ、ピスターリ・ビスターリ(ゆっくりと・ゆっくりと)。

1,500m辺りの集落”パウンドゥル”で一休み。谷間の奥にポカラの街とペワ湖が広がっている。スケッチをしながら、集まってきた子供達とボディートーク。ゼスチャーと顔の表情だけで解り合えるのが嬉しい。

”ノーダラ”には最初の”ポリス・チェック・ポスト”があり、記帳と”トレッキング許可証”のチェックが必要だ。互いに”ナマステー(こんにちわ)”と挨拶を交わす。

「どこへ行くんだい?」

「アンナプルナ一周さ。」

「えっ?バイクは、どうするんだ?」

「もちろん連れていくさ。」

「・・・・?。気を付けて行けよ...。」

どうやらこのポリスは、僕の言っている事を信じていないらしい。まあそれもしかたがない事だ。僕自身本当に一周できるかどうかは解らないのだから。

カーレの峠を越えた後は、強烈なハイスピード・ダウンヒルが待っていた。麓から山の頂まで延々と続く千枚田の直中を、風を切り裂き、谷に向かって落ちてゆく。時折現れるヘアピンカーブも軽快にパスし。1時間足らずでクスマに到着だ。

映画館の騒音

クスマでの一夜は、クスマ唯一のホテルで明かした。ツインの部屋を一人で借りて、素泊まり30Rs(約60円/1994.09現在)。夕食はエッグ・チャーハンとボイルド・ポテトそしてミルク・ティーのポットで60Rs。ポカラでの贅沢な食事に慣れきっていた僕には、先が思いやられるほど質素でしかも不味い。2階の僕の部屋からは、道路の真向かいに映画館が見えるが、現在上映中のインド映画のテーマ曲がガーガー・ピーピーと鳴り響いている。世界に名だたる!?インド映画のにぎやかさと言ったら無い。何時になったら眠れるのやら...。


2日目 クスマ(930m)→ベクラ(1,070m)

1994年10月4日 晴れ後雷雨 最大標高差325m/10時間 乗車率30%

クスマからバグルンジまでは舗装路で、軽快に走破。一息入れ、コーラをグイと飲み干す。ここからは、ダートのシングル・トラックだ。というと聞こえがいいが、実際は岩がゴロゴロの田んぼのあぜ道で、川だか道だか解らないというのが正直なところ。そんな道を汗だくになりながら進んでいく。途中立ち止まっては、湧き水をガボガボと飲む。行き交う人々は体より大きな荷物を背負ったポーターや学校帰りの子供達。ここはトレッキングのメインンルートではないのでみんな珍しそうに僕を眺めていく。

昼食は、街道沿いのバッティー(茶屋)で、インスタント・ラーメンに卵2個とマサラを入れたものを作ってもらう。チャーは3杯もお替わりする。インスタント・ラーメンはタイ製で、マサラとチリで味付けしてある。麺自体にも味付けしてあるので、そのままポリポリとかじるのも良い。

”チャー”はネパールのお茶で、インドのチャーイとほとんど同じもの。ミルクを鍋で暖め、紅茶の葉を入れて煮出し、砂糖をたっぷり入れて出来上がり。地方によっては、生姜やカルダモン、ピスタチオなどを入れるところがある。それを分厚いブルーがかったグラスに入れ持ってきてくれる。熱々のチャーを飲むとホッとする。

行けども行けども...

昼食もそこそこに、先を急ぐ。しばらく行くと断崖絶壁に行き当たる。はるか下方に横たわるカリガンダキ河に沿って、崖っ縁をバイクを担いだまま急降下する。水面近くまで下ったと思ったら、今度はやはり延々と登りだ。タトパニ方面から下ってくるトレッカーは、友人同士や夫婦あるいは家族連れで、束の間のヴァケーションを楽しみ、家路に急ぐ彼らの顔にはみな満足げな表情を浮かべている。

一日のペースが掴めないので、行けるとこまで行ってみようと思い、ペースを落とさず歩きつづける。次のホテルまで、次のホテルまで、と考えながらバイクを押していると、とうとう日が暮れてきた。体の疲労は段々と限界に近づいてきている。だが、ホテルがなかなか見つからない。最後に見たホテルからは3時間も過ぎている。足取りは重い...。

先は長いんだからこんなに無理する必要はないじゃないか。こうなったら民家にでも頼み込んで泊めてもらうしかないな。などと考えながら歩いていると、日もとっぷりと暮れた6時半頃、こじんまりとした集落に辿りついた。街道沿いに家が6件ほど立っている。そのうちの1軒がロッジだ。ようやく休める。

ランプの明かりで食事を済ませ、ベットに横たわった。気が付くと小雨がぱらついていた。この集落には電気が来ていないせいか、日が暮れると辺りはひっそりと静まり返り、雨音だけがやけに大きく響く。

いろんな事が頭に浮かび眠れない。こんな調子じゃ一周するのは絶対に無理だと感じた。やはりポーターを雇うベきなのだろうか。3週間もの長いトレッキングを前にして、自分では気付いていなかったが、かなり焦っている様だ。結局3時頃まで寝つけなかった。


3日目 ベクラ(1,070m)→タトパニ(1,219m)

1994年10月5日 晴れ 最大標高差210m/5時間 晴れ 乗車率30%

なんだか外が騒がしいので目が覚めた。寝ぼけまなこで外に出てみると、山羊達が路を埋め尽くしている。山羊の大群が山の方からぞろぞろと降ってくるのだ。彼らが下ってきた方角には、谷間の彼方にアンナプルナ・サウスが白銀に輝いている。

コーン・ブレッドにハニーを塗って、腹ごしらえをし、チャーを飲んだ。さあ出発だ。

転落の恐怖

切り立った垂直な岩肌に、半円状のトンネルを掘ってある。トンネルの勾配が余りにも急なので、階段状に岩を切ってある。左側は断崖絶壁だ。バイクのフレームの前三角に頭を入れる担ぎ方では、タイヤが天井に引っ掛かる度に、ヒヤッとして生きてる心地がしない。バイクを押してあるいは引いて登れる勾配ではないので、担いだまま体を前に傾けて慎重に一歩一歩足を運ぶしかない。ちょっとでもバランスを崩すと、谷底へまっ逆さまだ。死の危険は確実に目の前に迫っているのだ。

トレッキングに出発する前、親しくなったあるポーターが言っていた事を思い出した。「この辺りは、切り立った岩山を繰り抜いて道を造ってあって、狭いし勾配も急なんだ。落ちたら谷底へストンだ。助からないよ。だから、決して崖の縁を歩いちゃいけないよ。ましてや君はバイクを持っているんだから。実は、去年一人のドイツ人が、崖から落ちて死んでいるんだ。彼もバイクを持っていたらしい。危険なところだ。慎重に行けよ。」彼が言っていたことは脅しではなかったのだ。


4日目 タトパニ滞在(1,219m)

1994年10月6日 晴れ 休息日

真夜中のタトパニ

ネパール語で”タトパニ”というのは日本語の”温泉”そのもので”タト”=熱い、”パニ”=水、という意味だ。僕は銭湯感覚で手拭いを首にかけタトパニに向かった。まだちょっと明るいが、昼間の露天風呂もいいもんだろうとでかけたのだが...。

河川敷きに通じる階段を降り、塀の扉を開けた。そこはまるで遊園地のプールだ。コンクリートで出来た湯船に、カラフルな水着を着た白人達が、ワイワイ・ガヤガヤとひしめき合っているのだ。西洋文化に”情緒”とか”風情”という言葉はないのであろうか…。一人落胆に暮れながら、宿に戻るしかなかった。

皆が寝静まりかけた夜9時、なかなか寝付けず、もう一度タトパニに行ってみることにした。右手にヘッドランプ、左手に手拭いを持ちホテルを出る。ヘッドランプの明かりを頼りに階段を一歩一歩下りてゆく。扉を開けると、裸電球が頼りなく辺りを照らしている。ただっ広い湯船に一人体を休めると、今までの疲れがそよ風とともに去ってゆく。小一時間ほど湯船で戯れると、心地好い眠気を感じタトパニを後にした。


5日目 タトパニ(1,219m)→ガサ(2,040m)

1994年10月7日 晴れ 最大標高差820m/10時間 乗車率5%

今日も押しと担ぎの連続だ。乗れるところなどつり橋の上ぐらいしかない。鬱蒼と茂った森の中を、アップダウンをくり返し、いろんな事を考えながら歩きつづける。トロン峠からの下りの事、今日の夕食の事、昨日出会った人のこと...。

小さな悲鳴

この頃は、ちょうどネパール最大の祭り”ダサイン”の直前だ。”ダサイン“の間、何千・何万もの山羊達が聖なる場所で生け贄として神様に献上されるのだが、息の根の止め方が少々残酷だ。”ククリ”と呼ばれる鉈のようなもので”スパッ”と首を落とされ、頭部はその辺にゴロゴロと転がり、残った首からは真っ赤な鮮血が文字どおり“ピュー“と幾つもの弧を描くのだ。

生け贄にされる山羊達が、トレッキングルート一杯にひしめきながら移動していく。まるで動くウール・カーペットのようだ。山羊使いの1人に聞くと1つの群れで300頭は下らないらしい。そんな群れがいくつも山から町に向かって下りてゆく。

この辺りはつり橋がいくつか有る。つり橋自体は簡素で、ワイヤーの目も荒く、底の板が抜けていたりして傷んでいるものが多い。そんな橋だから山羊達は、なかなか渡ろうとしない。僕らが橋を渡って河の向こう岸に行くには、そこを通るしかないのだが、山羊が通り過ぎるまで10分でも20分でも待たされる。その間、他のトレッカー達と情報交換したりして気長に待つしかない。

そんなとき、近くにいたネパール人が叫んだ。

「山羊が一匹河に落ちたぞ!」

山羊が橋を渡り終えるのを待っていたトレッカーやポーター達は、一斉に河へと目を遣る。山羊が激流に飲み込まれ下流へと流されていく...。必死でもがき続ける山羊の円らな瞳は、心なしか潤んでいる様に見えた。あの山羊にしてみれば、寿命が1週間ほど早まっただけだが、一体どちらが良い死に方だったのだろうか。

「おまえもあんな風になりたいか!?」

ふと我にかえると、一人の山羊飼いが僕を睨みつけて叫んでいる。

「なりたくなかったら、とっととバイクもってポカラへ帰れ!」

彼はネパール語でまくしたてたが、ネパール語は余りよくわからな僕には、そう言っていたように思えてならない。


6日目 ガサ(2,040m)→カロパニ(2,530m)

1994年10月8日 晴れ 最大標高差520m/6時間 乗車率15%

相変わらず、押しと担ぎの連続だ。おまけに急登がそこらじゅうにある。つづらに折れた山腹の道を、いろんな歌を歌いながら歩きつづける。時折すれ違うトレッカーやネパール人に励まされ、担ぐ肩にも力が入る。

この辺りはリンゴの産地で、リンゴの木がそこらじゅうに生えている。ここではもぎたてのリンゴが一個なんと、1ルピー。ポカラでは、8ルピーはする。水分と栄養の補給にはもって来いの食べ物だ。休憩するたびにリンゴを食べ、一日に3つ4つと食べる事もざらだ。Tシャツで汚れを拭き、皮のまま頬張る...カッポンと乾いた抜けのいい音ガ響く。リンゴはこうでなくっちゃ!

「今日は何日だっけ?」

ホテルのレストランで、デンマーク人のトレッカーが僕に尋ねた。

「10月8日さ。 んー?僕の誕生日じゃないか!」

「そうかー!じゃー今日はお祝いだ。」

「君に聞かれなかったら、気付かなかったかもしれないよ!サンキュー。」

みんな一緒にアップルサイダーにアップル・パイで、ハッピ・バースデー・トゥーユーを歌った。

バイクはいくらするんだ?

トレッキング中、至る所で質問責めに遭う。トレッカーからはもちろんだが、ホテル・マンや子供など様々だ。「何処から来たの?」「何処へ行くんだ?」「バイクは何処で買った?」「バイクはいくらするんだ?」「このバイクを売ってくれないか?」「このバイクは何キロだ?」「何故バイクを使うの?」「このバイクに乗らせてくれないか?」

ネパール人が、僕の答えを聞いて最も驚いた顔をするのは、バイクの値段を聞いたときだ。バイクの値段は日本円で17万円。ネパール・ルピーでは8万5千ルピーだ。ネパールではオートバイが買えてえしまうぞ、なんてよく言われる。

例えば、ガサのホテルのコックのクマールは、僕と同じ27歳で二児の父だが、月収は3千ルピー。日本円で約6千円だ。ネパールではこれでも比較的高い給料といえる。だが、単純に計算しても、僕のバイクの値段は、彼の月収の約28倍にあたる。彼が毎月300ルピーを貯金したとしても、30年掛かっても買えない金額だ。


7日目 カロパニ(2,530m)→マルファ(2,667m)

1994年10月9日 晴れ 最大標高差130m/5時間 乗車率80%

カロパニから数十分、木立に囲まれたシングルトラックは限りなくフラットに近い。幾人ものトレッカーを追い越し、風と共に森を駆け抜ける。下ってくる隊商の馬達は、初めて目にする角を生やしたすばやい動物に驚いて、元来た道を引き返し逃げ惑う。昨日までの苦労が嘘のようだ。それを過ぎると、カリガンダキ河の左右には広く平らな河原が広がっている。これまではV字型の渓谷が続いていたが、ここに来て河の流れは緩やかになり、ライディングは快調だ。

ひとしきり水と戯れた後、つづら折れの急坂を汗だくになりながら押すことになる。フッとバイクが軽くなったような気がして、不思議に思い後ろに振り向いた。小学生ぐらいの男の子がリアキャリアを掴んで息を切らしながら押してくれている。互いに視線が合い思わず笑ってしまった。

彼はお母さんのお使いで、ガサの家からマルファまでトマトを買いに行くらしい。背中には大きな篭を背負っている。ガサからマルファなんて、地元の人が歩いても2日かかるのに...。

マルファが”綺麗”といわれる訳

マルファは”綺麗”だと何度も耳にする。通りすがりのポーターもそういうし、ガイドブックにもそう書いてある。実際マルファに到着してみると、確かにどことなく清潔で、街並みも気持ちがいい。街のメインロードは左右が建物の壁に挟まれており、壁はレンガ造りのように白い石を積み重ねて作ってある。石畳も奇麗に敷き詰められており、凹凸が少ない。しかしそのどれもが、”奇麗”と言われる決定的な理由だとは思えない。しばらく街並みを眺めながら散歩を楽しんでいたその時、パッと閃いた。

「そうか、糞が落ちてないんだ!」

ネパールの道端ではどこにでもありがちな、道端の”馬糞”が全く落ちてないのだ。ネパールでもインドの町と同様に、牛が町中にのさばっている。チョットでも気を抜くと、道ばたの糞の山に足をつっこんでしまいそうになる。しかしここでは、牛は全くと言っていいほど見かけない。

散歩していて気付いたのだが、牛たちはみんな家の塀の中で飼われているのだ。石をれんが状に積み上げた塀の合間に大きな扉があるのだが、そこは人の出入り口ではなく、牛の出入り口であった。


8日目 マルファ(2,667m)→ジョムソム(2,713m)→カグベニ(2,804m)

1994年10月10日 晴れ&強風 最大標高差140m/5時間 乗車率60%

 

幅約1kmも有りそうな河原の岩や砂利の上を
 

MTBに乗った旅人がズンズンと突き進む
 

そこには道などない
 

彼が駆け抜けたその後が道になる
 

途中、幾度となく現れる支流を水しぶきをあげて駆け抜ける
 

オーバーヒートぎみの体がしぶきのおかげでクールダウンする
 

 

ふと気が付くと、両脇に迫る山々の木はまばらだ。森林限界を超えたのだろう。こんな高所で、こんな風に走れるなんていったいだれが想像できよう。

一方トレッカーたちは、支流をまたぐ度に靴と靴下を脱いで面倒くさそうに、しかし冷たい水が気持ち良さそうに川を渡ってゆく。そんなとき、単独行らしいドイツ人の女性トレッカーが川を渡り終えタオルで足を拭きながら僕に話し掛けてきた。

「あなた、こんなことしてお金もらえるの!?」

「もちろん貰えないさ。君は貰えるのかい?」

「もらえないわ。」

「じゃあ同じだね。」

「そう言われてみれば、そうね。」

二人は顔を見合わせて笑っていた。

名ばかりのホットシャワー

トレッキングの道中にあるホテルには、ホットシャワーを売りにしているところが多い。看板には、”24 hours HOT SHOWER” や “SOLAR HEATED WATER” “REAL HOT SHOWER” なんて書かれている。しかし、入ってみると何時まで経っても湯が出てこない。しかたがないから悲鳴を上げながら冷たいシャワーにうたれる、なんてことはよくある話しだ。ホット・シャワーと唄っていても、太陽熱を利用して湯を沸かしているので、実際に湯の出るのは日中だけだったり、ぬるま湯だったりするところが殆どなのだ。

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