MTBでヒマラヤダウンヒル 1994.10

13日目 マナン(3,351m)→ピサン(3,185m)→チャメ(2,713m)

1994年10月15日 晴れ 最大標高差640m/6時間 乗車率85%

早朝、眠い目をこすりながらホテルのベランダに出ると、目前にまっ白な氷河に覆われたガンガプルナ(7,454m) が聳え、手を伸ばせば届きそうなところに、氷河湖が静かにたたずんでる。

マナンエリアはアンナプルナ一周中で最も、美しい景色を落ち着いて眺めることが出来るエリアだ。日本でいえば”上高地”、アメリカでいえば、”ヨセミテ国立公園”に優るとも劣らない、といえばその素晴らしさが想像できるのではないだろうか。僕自身はこの2つを完全に凌駕していると思っている。

 

 

この辺りのマルシャンディー河の流れはゆるやかで、丸一日歩いても標高差は数百mしかない。そんな平地を利用して小麦や蕎麦・ジャガイモ等が作られている。家屋の壁は石をレンガのように積み上げてあり、屋根は鉄筋コンクリート造りのビルの屋上のように真っ平らだ。屋根の上には白い旗がたなびいている。

マナン→ピサン→チャメはトレッカーなら2日かけるコースだが、バイクなら休憩を除けば4時間半で着いてしまう。しかし、こんなに短時間で通り過ぎるにはもったいないところだ。

マナンから空港のあるフムデまでは、ダンプでも通れそうなダブルトラックが続く。もちろんダートだがフラットで傾斜はほとんど感じられない。

 

氷河で覆われた山の間を縫って
 

バイクに乗った旅人が大地に絶間ない線を描いていく
 

彼が通り過ぎると
 

チョルテン(仏塔)が砂埃で霞み
 

メンダン(壁状のマニ車)がカラカラと音を立てて回り続ける
 

森の住人はそよ風を感じ
 

バッティーの主人は微笑む
 

 


14日目 チャメ滞在(2,713m)

1994年10月16日 晴れ 休息日

ダルバート屋

ダルバートはネパールの主食である。水で炊いた真っ白なお米”バート”と、豆のスープ”ダル”、そして野菜のおかず”タルカリ”がつく。自分の泊まっているホテルのレストランでも食べれるが、とても高い。ベット代が15ルピーなのに、ダルバートは一食60ルピーもする。

でも、地元の人やポーターが利用するローカルな食堂では20ルピーと安い。でも外国人旅行客は普通に入れてくれないところが多い。町をぶらついていて知り合った青年に相談してみた。

「実は、地元の食堂でダルバートを食べてみたいのだけど。」

「ダルバートならホテルの食堂にあるよ。」

「でも僕は、地元の人やポーターが食べている食堂で食べたいんだ。」

「・・・・・?」

「ホテルのダルバートはメチャクチャ高いし、この辺の店とは味も違うと思うんだ。」

彼には、何故僕がたかが数十ルピーの事にこだわって、わざわざ余り衛生的でないところで食べたいのか理解できないらしい。僕としては金額も去ることながら、訪れたその場所で地元の人と同じものを、地元の人が払うのと同じ値段で食べたいと思い、そうしてきた。

しかし、ネパールでは多くの場合、そう話が簡単ではない。お茶を飲むにしても外国人料金。食堂は外国人専用レストランじゃないと入りにくい。たまたまローカルな食堂に入り込みうまくメニューを注文できても、支払いは2・3倍もする外国人料金を吹っ掛けられるのが普通なのだ。自分がもっとネパール語を話せると、もっといいことがあるのだろうが...。


15日目 チャメ(2,713m)→タル(1,707m)

1994年10月17日 晴れ 最大標高差1,000m/7時間 乗車率40%

 

松の間からアンナプルナⅡ峰が見え隠れしている。この辺りは、石段の道や急坂の連続でスムーズに乗れるところは少ない。フロント・サスペンションの威力がはっきりと感じ取れるところだ。岩に乗りあげて落ちるときや、ごつごつの石ころの上を走るときは、手首にかかる負担が驚くほど軽減される。倒木を越えてもそれ程衝撃はない。しかし、ダンパー側の空気圧を調節するダイアルを柔らかくしておくと、フル・ボトムすることもあるし、そうなると、フロントにかかる過重が大きくなりすぎ危険な場合がある。大きなギャップがなく小さなギャップが多いところでは、ソフトぎみの設定の方が楽に降れる。しかし、大きなギャップがあるところでは、ダイアルを少しハードぎみに設定し、ておいたほうがよさそうだ。

ネパールで梨?

高度が下がるにつれて、だんだんと暑くなってきた。ついつい汗をかきのどが乾いてくる。道端の茶屋で一服しようと立ち止まった。店のテーブルには果物が数種類並んでいる。ミカンとグァバそれから...

「ヨ・ケ・ホ?(これなに?)」

「”ナシパティー”だ。」

「へー、日本の”梨”とそっくりだ。」

「日本にもあるのか?」

「”ナシ”って付くぐらいだから、日本から来たのかもしれない...。」

実際外見は日本の”なし”そっくりだが、”廿世紀梨”より二回りぐらい大きい。水分はたっぷりでとても重く、無骨な甘さの中に苦みがほんの少しある。


16日目 タル(1,707m)→バウンダラ(1,311m)

1994年10月18日 晴れ 最大標高差500m/8時間 乗車率20%

タルからは、幾つかの高巻きを乗り越えながらだんだんと高度を下げてゆく。途中、支流が滝になってマルシャンディー河に流れ込む。しばらくすると、田んぼのあぜ道が現われた。道が細くて田んぼに落ちそうになりながら進む。目前に小高い丘が現われた。地図によると丘のてっぺんがバウンダラだ。最後のつづら折れの急騰を担ぐ。シートチューブが肩に食い込む。村の子供達が応援してくれる。

タダの代償

バウンダラに到着だ。チョウタラで一休みだ。この木を取り囲んで、ホテルやロッジが立ち並んでいる。選ぶのも面倒くさいので、目の前のロッジに決め値段交渉だ。ロッジの二代目と思しき兄ちゃんが、ベットは一杯だけど屋根裏部屋なら空いてるからただで泊まっていいという。何だか少し胡散臭い気もするが、理由をきくのも面倒なので、OKする。

一階の食堂でコーラをグイグイと飲んでいると、ほらきた。さっきの兄ちゃんがバイクを貸してくれと言ってきたのだ。なんか変だなと思っていたが、やっぱりそうだった。仕方なく貸してしまったが、村中を走りまわっているようで、中々帰ってこない。ここまで来て愛車の身に何かあったら一大事だ。「帰ってこなかったら...」「壊れてしまったら...」と心配でならない。ロッジのおかみさんが、彼の母親のようだが、申し訳なさそうな顔で、「心配しないで、すぐ帰ってくるから。断わってもよかったのよ。」と言ってくれる。しばらくして、彼は大勢のギャラリーを引き連れながら満面に笑みを浮かべ戻ってきたが、僕はといえば、安堵で胸を撫で下ろしていた。二度と誰にも貸すまいと心に誓った。


17日目 バウンダラ(1,311m)→ベシシャール(823m)

1994年10月19日 晴れ 最大標高差490m/7時間 乗車率20%

マナスル山群のヒマール・チュリやガディ・チュリを望みながら、アップ・ダウンの繰り返しだ。路面は岩だらけで殆ど走行は不可能。クディーに着く頃には、空腹と疲労でまったく体が動かなくなってきた。ハンガーノックだ。ほうほうの体でクディーにたどり着き、ダルバートをこれでもか!というほど腹に詰め込んだ。タルカリは芥子菜の煮たもので、あっさりした味付けだ。トレッカーに気を使ってのものだろう。食後にチャーをこれ又ポットに一杯飲み干すと、強烈な睡魔が襲ってきた。

それを察したのか、ウェイトレスのお姉さんが、ベットまで案内してくれた。外は30℃以上の暑さだが、ホテルの中のベットは、背丈より一寸高いぐらいの竹柵の様なもので仕切ってあり、建物自体の壁も、竹を編んで造ってあるようだ。そのためか風通しが抜群に良い。

心地好いそよ風も手伝って4時間も眠っただろうか。気分も一新し、バイクに跨る。

まずい!ミネラル・ウォーター

標高が上がるに連れて、ミネラル・ウォーターの値段は面白いほど上がる。いや実際には全く面白くない事なのだが。しかも不幸な事に、トレッキングルートには、余りおいしくないミネラル・ウォーターが幅を利かせているのだ。その名は ”STAR”。ネパールには4・5種類のブランドがあるが、その中でも最低の味だ。強烈な臭みが有り、白人トレッカーも嫌っている。その水が、最も標高の高いトロン・フェディーの売店では、なんと60ルピーだ。ポカラでは12ルピーだというのに5倍に跳ね上がっている。


18日目 ベシシャール(823m)→ドゥムレ(457m)

1994年10月20日 晴れ 最大標高差360m/6時間 乗車率80%

アンナプルナ・トレッキングの始点であり終点でもある街、ベシシャールには、大きなバザールがあり、ホテルもある。朝だというのに騒がしく埃っぽい。ドゥムレ方面に向かうバスが激しいクラクションを鳴らしている。やっと街に戻ってきたんだという実感がグッと沸いてくる。

ベシシャールからは、トラックでヒッチハイクしたりバスを利用したりすれば、ポカラまでは一日で着けるのだが、人力で一周するというのが今回の目標の一つなので乗るわけにはいかない。だが、40kmのダート走行ぐらい、かるいかるい、なんて思っていたが、それはとんでもない間違いだった。

ネパール砂漠?

サラサラに乾燥し厚く積もった砂は、路面の凹凸を覆い隠し、ペダルから路面に伝わるはずのエネルギーは、殆ど砂を掻き上げるだけに終わる。  地図では1%の下り基調だが、実際は上り下りのくり返しだ。登りは汗だくになって押し、下りは振動で肩が外れそうになりながらすっ飛ばす。
下りきったところには、必ず川が横たわっている。車輪が半分も埋まりそうな水の中を、下りの勢いで突き抜ける。


19日目 ドゥムレ(457m)→ポカラ(870m)

1994年10月21日 曇り後晴れ 最大標高差530m/6時間 乗車率100%

今日は最終日だ。もう後80km、アスファルトで舗装された道を走るだけで、担ぎや歩きから開放される。そう思うと、いきなり現われた登り坂も苦にならない。舗装された道がこんなにも楽なものかと、改めて実感する。

ポカラにたどり着いたら、日本食の店でマヨネーズとソースのかかったお好み焼きと、ダイコンとわかめがたっぷりの味噌汁なんかが、腹一杯食えるのだ。はやる気持ちを押さえながら、黙々とペダルを漕ぐ。

やはりバイクは、登りであろうと、下りであろうと、乗って走っているときが一番いい。以前は下るために登る事が多かった。だが今では、登りも登りで楽しめている自分に気付く。途中でスケッチでもしながらのんびり登ったり、気合を入れてタイムトライアルしたり、色々楽しめる。10日間登りつづけるというのも、貴重な経験だろう。日本では、そんなコースは何処を探しても見当たらないのだから。

彼方に、マチャプチャレやアンナプルナを望みながら、黙々とペダルを漕ぐ。思い起こしてみれば、登りでは苦しくてあの険しい山々を眺める余裕などなかった。下りでは楽しくてあの雄大な山々を眺める隙などなかった。今初めて、彼方に連なるアンナプルナの山々の懐で、心ゆくまで遊ばせてもらった事に感謝し、もう二度とあんなに間近から見る事はないのかと思うと、妙に寂しい。だがホッとするというのも正直な気持ちだ。

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