1994年8月25日 ダグシュカ手前(4075m)→ヤムドローリング(3775m) 晴れ/テント泊
チベットのカレー
細かいアップダウンを繰り返しながら、どんどん下っていくと、やがて、目の前にヤルツァンボ河が横たわっていた。ヤルツァンボ河は全長が2,900kmといわれ、遙かインドではプラマプトラ河と呼ばれベンガル湾にそそいでいる。
対岸には、荒野とほとんど同じ焦げ茶色をした建物が並んでいる。ここがダグシュカのようだ。
手元の地図ではこの河を渡る事になっているのだが、橋など全く見あたらない。橋をかけるには河幅が広すぎるのだろう。他の道を探してみたが、この河を越えないと先に進めない様だ。
目を凝らしてみると、彼方の対岸にフェリーの様なものが見える。それがこちらに来るのかどうか分からないが、他に方法がないので、気長に待つしかない。
チベットの太陽は、ジリジリと容赦なく僕らを焦がす。チベットの空気は下界の半分にも満たないが、その分紫外線を遮るものも少ないのかもしれない。走っているときはそれほど暑く感じないが、止まっていると風がないせいか、汗がにじみ出る。
日陰を見つけそこに移動するが、気が付くと日向がどんどんと追いつき、その度により涼しいところに移動することになる。
太陽とのいたちゴッコに嫌気がさしてきた頃、ようやく対岸のフェリーらしきものが動き始めた。それに合わせて、どこから現れたのか数人の現地人もその乗り物を見つめている。
ロバに荷物を満載した、あるおじさんに声を掛けてみた。ジェスチャーや筆談でしか話せないが、彼は敦煌からロバを連れてきたという。昼間っからチベットのどぶろく“チャン”をあおり、まっ茶色に日焼けし、しわも出始めているその顔からは想像できないが、彼は僕と同じ年だという。何のために、どのようにしてここまで来たのか聞けなかったが、彼の人なつこい笑顔は、チベットひいては中国をも、より身近な存在として感じさせてくれた気がする。
そんな彼と、対岸の食堂で食べたのが、チベット・カレーの一つ”アール・カレー”。
インド・カレーのように辛くはなく、汁けも少なくサラサラとしている。具のほとんどはずんぐりしたジャガイモで、ネギの刻んだものも入っている。
メニューがさっぱり分からないので、調理場で鍋の中を覗いて頼んだが、これは正解だったようだ。