3.カトマンズを目指し出発

1994年8月21日 ラサ(3658m)→ヤンバージン手前(3830m) 晴れ/テント泊

 宿のみんなに見送られ、僕ら二人は、名残惜しいラサの町を後にした。

 一歩町から出ると、チベットの乾燥した土埃の舞うイメージとは裏腹に、緑が多く気持ちのいい風景が続いている。遊牧民の家畜だろうか、ロバや山羊が水を飲んでいる。“のどか”というのを絵に描いたらこうなるのだろうか、などと考えながら足取りも軽く漕ぎ続ける。

 今回の旅は、一人ではなく、出身大学のサイクリング・クラブの後輩、奥田君が一緒だ。僕が五反田のある飲み屋でチベットの話をしたとき、彼は“日本を走る”ということに関しては、そろそろ満足してきたようで、そろそろ海外も走ってみたいと思っていた矢先だった。僕の方は未だ構想段階の話をしただけなのだが、彼は既にその気になってしまっていた。
 半年後、僕はチベットに行くことを決め、彼と協力し合って、準備に取りかかったのだ。

 さて、60kmも走っただろうか、ようやく集落が見えてきた。二人とも初日と言うこともあって疲れたのか、走るのはちょっと早めに切り上げて、休むことにする。先が長いのだ、急いでもしょうがない。 集まってきたチベタン(チベット人)に、うどんをすするまねをしながら、近くに食堂はないか尋ねてみた。

僕   「サカン、ドゥー?(食堂、ある?)」
チベタン「…ミン・ドゥー、…。(…無いよ…。)」

きっとそう言ったのだろうが、はっきりとは聞き取れない。しかし、ジェスチャーや雰囲気からして食堂は無いようだ。

場所代にマルボロ

 民家の近くの空き地にテントを張らせてもらうことになった。しばらくすると、村中の人がテントの周りに集まってきた。テントの入り口にはちょっとした人だかりができ、人々は皆、僕らの一挙手・一頭足を興味深げに眺めている。

コンロを取り出し、お湯を沸かし始めると、

「夕飯はまだか?」

 などとジェスチャーで訊いてくる。まだだと言えば、おそらくチベタンの家に呼ばれ、チベットの家庭料理でも振る舞ってもらえるのだろう。だが、今日は2人とも走行初日ともあって大変疲れているので、チベットの人々に気を使う余裕などない。飯を食ったら早く休みたい気分だ。良い機会なのだが、丁寧にお断りする外無い。

 だが、いつまでたっても引き取ってもらえないので、所場代にとマルボロを差し出した。彼らのやりとりで気が付いていたのだが、どうやらこの土地には、ちゃんと持ち主がいるらしい。受け取ったその親父は、マルボロの箱をジロジロ見回して、どれぐらいの価値があるのか訊いてきた。

「20元」

と答えると、満足そうな笑みを浮かべている。

「シムジャナンゴ(おやすみなさい)、シムジャナンゴ…。」

と、数回呪文のように唱えると、やっと分かってもらえたらしく、皆を連れて引き上げてくれた。

 食事を終え程なくすると、静寂と共に心地よい睡魔が訪れた。

 

 

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