1994年9月5日 ティンリー(4320m)→ラルン峠手前(4865m) 晴れ/招待所
峠手前のデット・ヒート
左側の彼方に連なるヒマラヤの山並みを眺めながら、今日もチベットの大地をひた走る。
今日こそ、うまくヒッチハイクしてラルン峠を越えておかないと、残り5日でカトマンズに到着することは難しくなってくる。ラルン峠より先の5,000mダウンヒルの途中でヒッチハイクすることは、できるだけ避けたいのだ。
今まで、シガツェとラツェでヒッチハイクできるトラックを見つけようと頑張っていたが、町中で待っていても見つかった試しがない。もうこれ以上時間を無駄にはできないので、走りながら見つけることにする。
3時間ほど走っただろうか、後ろの方でトラックが近づいてくる音がしする。振り返るとトラックはすぐそこまで来ている。スゲ峠の時と同じように、道の真ん中に出て運転手に手を振りトラックを止めることができた。
運転手と話したところ、ラルン峠の手前までは行くことが分かり、3人で250元ということで話が成立した。決して安い金額ではないが、背に腹はかえられない。
空の荷台に自転車を乗せ、僕らも乗り込み荷台に腰を落ち着けた。しかし走り出すと、座ってなんかいられない。洗濯板状のダートのおかげで、殆ど空荷のトラックはドォワン・ドォワンと空中に投げ出され、荷台の自転車も僕らも、みんなそれに合わせて、宙に浮いては荷台にたたきつけられる。
幌の鉄フレームにぶらさがったまま荷台から後ろを眺めていると、一人のサイクリストが眼に入った。あのアンディーをトラックで追い抜かしてしまったのだ。彼が僕らに気付いていたかどうか分からないが、僕にとって彼をヒッチハイクで追い抜かしたことは余り気持ちのいいことではなかった。
70kmほど走っただろうか、トラックは僕らを降ろして走り去った。
高度4,650m、ここからは登りだ。
30分程登った頃、驚いたことにあのアンディーが僕らに追いついてくるではないか!速い!
僕は抜かれてなるものかと頑張りはじめた。
彼が知っているかどうかわからないが、僕らは70kmもショートカットしたのだ。それに対して、おそらく彼はすべて自力で走ってきたのだろう。それでも疲れを見せずグイグイと登ってくる。後続の一人は完全に抜き去られ、もう一人が抜かれるのも時間の問題だ。
僕はフィッシュ&チップスしか食ってないやつになんか負けてたまるか!などとなかば本気で考えながら、彼を引き離しにかかる。
スゲ峠の時と同様、ペダルを回すリズムを一定に保ち、呼吸が乱れないよう気をつける。だが絶対に後ろは振り向かない。つづら折れのヘアピンコーナーを曲がった時、アドバンテージがどれくらいかをチラッと確認するだけだ。容赦なく照りつける太陽に、汗がたらたらと流れ出す。止まって水を飲みたいが、そんなことをするとすぐに追いつかれそうだ。またチラッとアドバンテージを確認する。徐々にではあるが、間隔が開いてきているようだ。
そんなことが一時間以上続いた頃、風にたなびくタルチョが眼に飛び込んできた。
初めて後ろを振り返ったとき、視界に入ったのは赤茶けた山々だけだった。
後で気付いたが、ここはラルン峠ではなく、手元の地図には乗っていない一つ手前の峠だった。ラルン峠越えは明日にして、近くの招待所に泊めてもらうことにした。
(タルチョ:チベットの峠には必ずあると言って良い。縄に縛られた色とりどりの布切れには、お経が書かれている。)
(招待所:中国人用の、比較的安い宿泊施設。)